少し前、自分の産後1か月検診のために電車に乗りました。
出血があるのでまだお風呂(湯船)には入れず、痔も腰痛も貧血もひどくてフラフラでした。土曜の朝で電車は混んでいませんでしたが座れるほどでもなく、ドアの横に立っていました。
ふと、少し前まで時々身に着けていたマタニティマークを思い出しました。長い妊活の間、見かけるたびにせつない思いをしたマタニティマークです。
マタニティマークをつけている誰かの妊娠と自分の妊活には何の関連もないのは理解していたけれど、やはりアレには心乱されました。私が不妊治療していると知っているのにマタニティマークを見せていた同僚には配慮がないなあと悲しくなっていたし、いつか妊娠した時にはマタニティマークを大々的につける人にはなりたくないと思っていました。
とはいえ、私の妊娠中の体調は最悪で、通勤時にはフラフラと優先席に座り込み、混み合った長い階段では突き飛ばされそうになりながら手すりにつかまっているような状態でした。
マタニティマークは駅構内だけでつけていて、改札を出たらカバンの中にしまっていましたが、結局のところ、つけていても席を譲ってもらうことはあまりありませんでした。冬場は着ぶくれしているので体型も分からないし、混んでいたら他人のカバンや持ち物なんて見えません。
何度か席をゆずっていただいたことはありましたが、妊娠中に100回以上電車で立っていた中で、10回くらいでしょうか。しかも、臨月で動きなさいと言われて電車で通院している時こそ席を譲られ、つわりで吐きながら通勤している時期に限って、お腹が出ていないので単なる酔っ払いに見えてしまうような微妙な感じでした。
ほかにマタニティマークの使いどころとしては、意識を失うような事態になったときに役立つといったことも言われていますが、病院に運び込まれるまで完全に意識消失していたとしても、今時救急では妊娠の可能性を考えて対応されるだろうということで、すれ違う人全員にマタニティマークを見せながら歩く必要もないような気がしています。
そもそも、みんな心に余裕があれば、マタニティマークがあってもなくても、それほどギスギスした感じにはならないのだろうなと思います。でも電車は混んでいるし、たくさんの人が辛い中通勤しているから、マタニティマークの人だけ優遇されているかのような不平等感が出てしまうのだと思います。
妊婦かどうかにかかわらず、その日元気な人と体調の悪い人で気軽に席を譲り合えればいいのにな…
でも、実際のところ目の前にマタニティマークがぶら下がっていたらプレッシャーに感じてしまう人もいるだろうし、目の前の人に席をゆずってくださいなんて言われれば、たとえ自分が病気だったとしても日本人なら断れません。逆に妊婦さんが誰かに席を譲られた場合には、いくら本人が動いてよくて元気でも、親切な人のやる気をそいでしまいそうで断りづらいと思われます。とっても窮屈な状況です…
何年も前ですが、大阪の地下鉄に乗っていて、貧血で急に気分が悪くなったことがありました。
近くにいた人が「誰か席を代わってあげてくれませんか」と周りに声をかけてくれて、次の駅まで席に座ることができました。たまたまかもしれませんが、東京ではなかなか見かけないような出来事に、大阪の人ありがとう…と心から感謝しました。
そういうわけで、マタニティマークはあくまで大変そうな人の存在に気づくためのきっかけでしかなく、結局周りの機転があってはじめて役に立つものなのだと思います。