人生に効率を求めるなら、不妊治療なんてしないほうがいい

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健康診断のアンケート「不妊治療はまるでギャンブル 高額費用つぎこむ40代」(毎日新聞 2016年1月17日)という記事が話題になっています。
私のFaebookのタイムラインにも知り合いからシェアされてきて、最近いやでも目に入ってきます。

「ギャンブルみたいな不妊治療に費用をつぎ込むのは、リスクを考えるとバカバカしい」
「公費を使って助成するなんて無駄だ」
周りの人々の意見を要約すると、こんなところです。

まあ、子供がいる人はそう言うよね…
いろいろな人から、いろいろなことを言われてしまっていますが、正直言って私も、他人事として考える限りは、不妊治療は効率の観点でリスクと無駄の多いものだと思います。

不妊治療で失うもの

費用面でのリスク、健康のリスク、夫婦仲や人生設計のリスクなど、妊活や不妊治療で失う可能性があるものは多岐にわたります。子供がほしいとさえ望まなければ、手に入ったものや失わないで済むものがたくさんあるということです。

私の場合ですが、妊活のために退職して、気持ちがふさぎ込んだ時期もあり、今は病院通いと両立できそうな仕事にありついてなんとか毎日暮らしていますが、正直、妊活さえなければもっと物心両面で豊かに生きられるのでは…と思うことは数え切れません。仕事も辞めなくてよかっただろうし、アパート暮らしでなくもっといいお家に住めたかもしれません。また、ホルモン注射や薬をまったく使わない場合に比べると、乳がんや骨密度低下、頭痛、気分が落ち込むなど副作用のリスクがあると言われています。(卵巣刺激とがんの関連性については、まだはっきりとした結論は出ていないようです)

参考:日本乳癌学会ホームページ

感情を抜きにすれば無駄なことかもしれない

また、個人的感情を抜きにすれば、不妊治療につぎ込んでいる労力と費用を、社会貢献など別の場所に使ったほうが社会全体の利益としてよほど効率が良いことは否めません。例えば、体外受精に4回挑戦して200万円使ったとして、その分の費用で発展途上国向けのポリオワクチンを購入したとしたら、9万4000回分以上購入できます。単純計算ですが、少なく見積もっても、ポリオによる死者を一万人単位で減らすことができるでしょう。(ユニセフ支援物資の価格表によると、1回分21.25円とのことです)

一方、私一人が子供を持てなかったところで、世の中全体で考えれば、なんの痛手もありません。

それでも、わざわざ妊活している

不妊治療の成功率は、体外受精をしても、最終的に出産できる確率は4割程度と言われています。(35-39歳の場合、東洋経済の記事による。)
それでも、夫婦でわざわざ望んで、効率が悪いとわかっていて、全労力をつぎ込んで妊活しているのです。
他人事なら、バカバカしいとしか言いようがないでしょう。
夫婦間でも、そこまでして子供が欲しいのかと認識の違いは出てくるでしょう。

ですが、本人たちがリスクを知ったうえで不妊治療をしているのであれば、それを他人が止める権利はありません。医療の力を借りれば出産できる人が一定数いる以上、効率が悪いと否定することもできないわけです。風邪や水虫、痔など、すぐには命に別状ない病気でも医者に掛かって直しているように、不妊を治そうとしても良いのではないかと思います。

私は、不妊を病気として認めてほしいと思っています。

不妊治療への社会の共通認識がほしい

例えば海外では、フランスでは不妊は病気として扱われ、42歳まで、回数の制限をもうけて健康保険を適用できるそうです。一方、日本では保険適用となるような「胃ろう(口から食物をとれなくなった場合に胃に直接栄養を流し込む穴を開ける)」の手術が、治る見込みのない場合の延命目的では行われていないそうです。

このあたりは価値観の違いかもしれませsんが、日本でも、何もルールがない中で、暗中模索で何とかするしかないような現状より、社会の中で、治療タイミングや内容・回数などの共通認識が持てるよう検討したほうが良いのではないでしょうか。
当事者だから書きますが、「ここまで頑張ればあきらめてもいいんだよ」というおすすめラインがあれば救われる人もいるはずです。

正直、私は「どこまで妊活を頑張れば、あきらめた時に許してもらえるのかな」、と思うこともあります。
妊活のために仕事を辞めれば、客観的に妊活を頑張ったと認めてもらえるだろうか。
仕事も妊活も両方頑張っている人がいる以上、私も何とかしなければいけないのだろうか。
あと何回、あと何年、どれだけ犠牲を払えば、十分頑張ったとして許されるのだろうか。

こんな風に、答えの出ないことを何度も考えて、それでも毎日、なんとか過ごしています。

無駄に終わる確率は高くても、限界まで頑張ったと納得できなければ、その先の人生に進めないのです。
まさに、この気持ちは、効率の観点でも理性でも語れません。

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