去年と同じ春だけど、違う景色が見えている

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青空妊活は、自分のやっていることが正しいのだろうかという不安との戦いです。
ともすると、何をやっても、だからおまえはダメなのだと言われているような気がしてしまいます。

もう38歳。同級生たちの出産はひととおり落ち着いて、今は10歳も年下の後輩たちが出産ラッシュです。私も熱烈に子供を望んでいるのですが、聞かれてもいないのにそう言って回るわけにもいかず、気が付けば、子供を作らなかった人(過去形)扱いです。

同世代でこれから結婚しようという友人もいますが、気が付けば友人に子供ができて置いて行かれてしまいます。結婚して100か月になろうという私が急に101か月目で奇跡を起こすよりは、始めの半年にチャレンジする新婚の人のほうがよほど有望…というのは頭では理解していますが、それを再認識するのも辛いです。

後で結婚した人たちからは、必ずと言っていいほど「一緒に妊活がんばろうね」のような声をかけてもらえるのですが、「どうせ、この子もすぐ妊娠するんだろうな…」と冷ややかな気持ちになってしまいます。

子育て中の友人たちからは、会おうと誘われる度に「子供と一緒でも、別でもいいけど、どうしよう?」と気を遣うようなことを言われるけれど、結局のところ気を遣ったことにしたいだけで、こちらに「○△ちゃんや◇◎ちゃんに会いたいから、ぜひ一緒に~!」と言わせたいのが明らかです。こちらの気持ちなんてどうでもいいのかと、正直がっかりです。たまには大人の話をしたいと思うのって、別に不妊様でもないと思うけどな…

独身の友人からは子供なんていないほうがいいよと言われて、ずっと子供ができない前提で遊びに誘われたり。
親からは、孫を抱けない自分は不幸だと言われたり。
こちらの気持ちを何だと思っているのだというひどい有様です。

たぶん、私は外向きにはいい人でやろうとしているけれど、こんなことを考えてしまう今の私はつまらない人です。
本当は泣きそうで何も言えないのだけれど、他人にとっては単なる不機嫌です。
ここ一年何していたか聞かれても特に何かの成果もなく、無気力で、何もしていないように見えてしまいます。

子供ができたからといって人間的な価値そのものが変わるわけでもありませんが、外から見たら結婚以降の私は進化を止めています。

病院通い以外の時間は仕事をしていますが、ここぞという日に休まなければいけなかったり、薬で体調がすぐれなかったりで、パワー全開で頑張れているかといえば、とてもそうは言えません。

もうスケジュール的には絶対病院通いを優先する、と決めているので、今さら働くスタンスで迷うことはありませんが、妊活さえなければもっと仕事ができるのに、仕事さえなければもっとゆったり妊活できるのに…と、なんだか答えのない悩みにはまり込んでいきそうです。

それでも。
去年の春より、今年の私は元気になっています。春には毎年近場へ花を見に行くのだけど、同じ景色を見ていても、少し明るく輝いて見えるようです。
年を取るだけ妊活には不利だけれど、それでも、今できることを頑張ろうという気持ちになっています。

「移植後の笑いが妊娠率を上げる」というお医者さんのブログ記事を見て、通院前後にはおもしろ画像を見るようにしたり、パイナップルが効くと聞いて、食べ過ぎない範囲で毎日生のフルーツを食べるようにしたり。
明らかに疲れてしまいそうな集まりには勇気をもって欠席したり。

もはや、科学的なところは病院にまかせているので、こちらは気力的なところで頑張るしかないのですが、
この、先の見えない日々もいつか超えられると信じて毎日を過ごしています。

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